子猫が心配
今朝は子猫の悲しげな鳴き声で起こされました。
糸を引くように、甲高い声で鳴き続ける子猫。姿は見えないけれど、アパートの近くにいるらしい。
ミチコさんはずいぶんと前から子猫のことを知っていて、
「母猫が4匹の子猫を産んだのよ。一匹はシャムっぽくて、一匹は黒ちゃんで、一匹はタキシードで、もう一匹は三毛ちゃんなの」
と、どうやって観察したのか不思議なくらい詳しく教えてくれます。
鳴き続ける猫は迷子なのか、母猫に捨てられたのか。ちらりと塀の隙間に見えたのは、《黒ちゃん》らしい。
こうなるとミチコさんはいても立ってもいられません。
靴をつっかけて出て行ったかと思うと、ぐるりとアパートの周りを回って、裏手の袋小路にしゃがみこみ、子猫を呼ぶ。
《本気で》猫のことを心配しているのです。
僕にはこの《本気》が理解できません。
いや、理解はできる。ミチコさんは猫が好きだし、僕の数万倍優しい。
しかし不思議なことは、どうしてそんな感情を抱くことができるのか、ということ。
僕とて、母猫からはぐれた子猫を見て「かわいそう」と思いはします。けれど、放っておこう、と思う。
ミチコさんは放っておけません。この明白な違い。
違うからといって、それが夫婦喧嘩につながることはないけれど、この違いがなくなることはあるかな、と思うのです。
僕がミチコさんのように子猫の身の上を心配して必死になって子猫を助けようとするとか・・・。
妥協、ではない心のシンクロ。
一生に一度だけでもそんなことが僕に起こりえるのか、今は少し疑問です。
つまり、誰かとの心の違いを僕は乗り越えられない。
結局、子猫はどこかへ行ってしまい、ミチコさんはこの《事件》のおかげで一日中ずっと浮かない顔をしていました。