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体長約2ミリ、カタツムリのあかちゃん。
ミチコさんご執心のカタツムリをピンセットでつまんでルッコラの葉っぱに乗せてみました。
こんなに小さくてもちゃんと目も見えている様子。
が、僕の関心はここまで。
毎朝のように、カタツムリのいる植木鉢を覗き込んではその様子を観察しているミチコさんにはかないません。
なぜそんなにカタツムリに……?
かわいい、と言うのですが、僕にはふつうのカタツムリ。
「うわ、小っさい!」とは思うけれど、「わあ、かっわいい!」とは正直思えないのです。
こういう感覚の違いは何に由来するのでしょう。
生まれてからの現在に至るまでの経験から?
もしそうなら、経験の度合いを数値化して感情さえデータ化できるのではないか、などと考えてしまう。生まれてからまったく同じ体験をした人は、思考も同じになるのでしょうか。
マクロ的に見たとき、世代や地域によって考え方に『傾向』が現れるのなら、ミクロ的に同じ思考や感覚、あるいは同じ性格の人間を産むことは不可能ではないようにも思われるのですが。
さて、同じ植木鉢の中で生活しているカタツムリたちの性格に違いはあるのか?
ミチコさん、教えてください。