● 鹿児島へ

JALに乗ってます。実は1便乗り遅れました。

ありえない雪……、吹雪ですよ。ここは北海道か。

鹿児島市内に入ると降っていなかった。青空も見える。

と、思ったら、再び雪、雪、寒い。

海面から湯気が……。3月の鹿児島のはずだけど、ありえない。

つかの間雲が切れて桜島が(半分だけ)姿を現してくれた。

飛行船を撮るために鹿児島へ来た。 残念なことに、はるばる旅をしてきた感がまったくない。 昨年も来ているからだろうか。 まるで東京のどこかの町に来ているような。   ……というより、日本で(死語かもしれないけれど)《旅情》のようなものを感じることができるのだろうか、僕は。 どんな辺鄙な地方へ行っても旅をしている気分にはならないかもしれない。   その土地において《よそ者》であることを自覚するところから旅は始まると思う。 単に地理的な《よそ者》ではない。 自分がふだんいる場所から離れることは、日常の生活から脱け出すことを意味する。つまり非日常に身を置くことが旅である。 僕が旅情を感じられないのは、鹿児島に来ることが日常の延長であるからではないか。 飛行船を撮る、という目的で東京を歩き回っている日常。その目的地がたまたま鹿児島であるというだけのことで、日常から一向に抜け出していない。 まして、街の様子も東京のどこかの街とさして変わりはないわけで。   かくして東京から1000km以上離れた街の小さなゲストハウスでパソコンに向かう僕は、家のキッチンのテーブルでブログを更新するのと何も変わらないのである。 そういう意味では、なんとつまらない人間になったものかと思う。 しかし、「旅を栖(すみか)とす」と言った松尾芭蕉のようなものだと思えば、ほら、ロマンがある、ような。